会社を買って起業する――コーディ・サンチェスが教える「ゼロから始めない」という選択肢

「いつかは独立してみたい」
会社員として働いている方なら、一度くらい考えたことがあるのではないでしょうか。
しかし、30代、40代、50代と年齢を重ねるほど、会社を辞めるという決断は簡単ではなくなります。
住宅ローンがある。子どもの教育費がかかる。
インターナショナルスクールや海外留学を考えれば、必要なお金はさらに増える。
今の生活水準だって、できれば落としたくない。
それなりの年収があっても、
「結局、一生働かなきゃね」
という話になります。
でも、ここには一つ思い込みがあるのかもしれないのです。
起業とは、本当に「会社を辞めて、ゼロから新しい会社を作ること」だけなのでしょうか。
これとは違う選択肢を積極的に発信しているアメリカ人起業家がいます。
コーディ・サンチェス(Codie Sanchez)です。
ウォール街から「地味な会社」のオーナーへ
コーディ・サンチェスは、ウォール街で約15年間働いた後、現在は投資会社・メディア企業コントラリアン・シンキング(Contrarian Thinking)を率いる起業家・投資家です。
コントラリアン・シンキングによると、サンチェスはゴールドマンサックス、ステートストリート、ヴァンガード、ファーストトラストなどで経験を積み、その後、自ら事業を買収する側へ転じました。
現在、彼女が一貫して発信しているテーマの一つが、
「すでに利益を出している小さな会社を買う」
という起業方法です。
彼女がよく使うのが、
ボーリング・ビジネス(boring businesses)という言葉。
意味は、「退屈なビジネス」「地味なビジネス」といった感じです。
たとえば、ランドリー、カーウォッシュ、修理、清掃、住宅関連サービスなどです。
新たな巨大SNSを作るような華やかなスタートアップなどではなく、人々の生活や地域社会には必要とされ、すでに顧客が存在し、キャッシュフローを生み出している。
サンチェスはこうした「Main Street businesses」と呼ばれる地域の小規模事業を買い、育てることを勧めています。
コントラリアン・シンキングも現在、「BUY, SCALE, SELL(買う、成長させる、売る)」を事業の中心に掲げています。
なぜ、ゼロから起業ではなく、会社を買って起業なのか
新しい会社をゼロから作る場合、最初は当然何もありません。
商品を作る。
顧客を探す。
会社や店の名前を知ってもらう。
取引先を開拓する。
従業員を採用する。
そして何より、
「本当に誰かがお金を払ってくれるのか」
を確かめなければなりません。
一方、すでに営業している事業を買う場合には、少なくとも理論上は、
顧客、売上、設備、取引先があります。
従業員がいることもあります。
つまり、
「0を1にする」部分の一部が、すでに出来上がっています。
コントラリアン・シンキングも、事業買収のメリットの一つとして、買収した時点ですでに収入源、顧客、事業インフラが存在する点を挙げています。
もちろん、だからすべてが安全という意味ではありません。
売上が落ちることもあれば、顧客が離れることもあります。
従業員がやめてしまう可能性だってあります。
それでも、「起業=すべてをゼロから作ること」ではないという発想は、会社員にとってかなり重要です。
でも、会社を買うなんてお金持ちの話では?
ここで多くの人は、
「会社を買って起業なんて、何千万円、何億円もの資産が必要なのでは?」と思うのではないかと思います。
私も、彼女をフォローするまでは、そう思っていました。
彼女が発信する事業買収で重要なキーワードの一つが、
seller financing(セラーファイナンシング)です。
これは何かといいますと、買収代金の全額を最初に支払うのではなく、売主が代金の一部を後払いとして認め、一定期間にわたって買い手が支払っていく方法です。
このほか、金融機関からの借入や投資家からの資金など、複数の方法を組み合わせて買収資金を構成することもあります。
つまり、会社の価格と同額の現金を、最初から持っていなければならないとは限らないということです。
ここが、サンチェスの事業買収論の面白いところなのです。
ただし、これは「お金がなくても簡単に会社が買える」という単純な話ではありません。
借金や後払いを利用すれば、それだけ将来のキャッシュフローから返済しなければなりません。
買った会社が想定通りの利益を生み出さなければ、むしろ大きな負担になります。
だからこそ、財務諸表を読み、会社の実態を調べ、価格を評価し、契約条件を確認するデューデリジェンスが重要になります。
これは、決して「楽して社長になる方法」ではありません。
ここまでならアメリカの話。でも、日本にもあった!
コーディ・サンチェスの話を聞いて、
「面白いけど、アメリカだからできるんでしょ」
と思っているそこのあなた!
実は、すでに、日本にもかなり近い考え方があるのをご存じですか?
しかも、日本政策金融公庫が名前まで付けています。
その名も「継ぐスタ」です。
「事業を受け継いでスタートする」という日本政策金融公庫が使っている名称です。
日本政策金融公庫の「事業承継マッチング支援」とは、後継者がいないなどの理由で事業を譲りたい人と、創業や事業拡大のために事業を譲り受けたい人をつなぐサービスです。
そして、すでに会社を経営している人だけではなく、
これから事業を受け継いで創業する人も対象なのです。
2026年3月末時点で、譲渡希望の登録は6,649件、譲受希望は14,370件。
累計2万件を超える候補が登録されています。
つまり、「会社員が既存事業を引き継いで経営者になる」という選択肢は、日本でも決して突飛なものではないのです!
実際に「会社員からオーナー」になった人がいる
ここで、政策金融公庫のサイトに、非常に興味深い実例があります。
先代の経営者には後継者がいませんでした。
一方、事業を受け継いだ山本純哉さんは、大手酒類製造会社に勤務し、ワイン販売に20年以上携わってきた会社員でした。
ソムリエ資格も持ち、いつか自分の店を持ちたいという思いがあったそうです。
そこで日本政策金融公庫の事業承継マッチング支援を利用し、後継者を探していた酒屋を引き継ぎました。
ちなみに、承継時の山本さんは54歳でした。
この事例には、40代、50代で独立を考えている人にとって重要なヒントがあります。
山本さんは、54歳になって突然、「起業しよう。何か新しいアイデアを考えよう」
と、知らない業界に飛び込んだわけではありません。
会社員として20年以上かけて身につけた経験を、自分が所有する事業へ移したのです。
20年間会社員だった人は、20年間何もしていなかったわけではない
会社員として長く働いていると、
「自分には起業できるようなものがない」と思ってしまう方がいるようです。
でも、本当にそうでしょうか。
長年、営業をしてきた。
メーカーで製品や顧客を見てきた。
人や組織を管理してきた。
海外事業を担当してきた。
IT、広告、物流、ホテルなど、一つの業界で専門性を積み上げてきた。
これらはすべて、経営資源になり得ます。
20年間会社員をしてきた人は、20年間「起業の準備をしていなかった」のではありません。
むしろ、業界知識、人脈、営業力、交渉力、管理能力、専門知識…
そういったものを長い時間をかけて蓄積してきたとも考えられます。
ならば、「新しいビジネスアイデアをゼロから考える」だけではなく、
「自分がこれまで身につけてきた能力を生かせる会社は、どこかにないだろうか」
と探す方法もあるということです。
日本には「継いでほしい会社」もある
そして、日本にはもう一つ、経営者の高齢化という事情があります。
2025年版中小企業白書によると、日本の中小企業では60歳以上の経営者が依然として過半数を占めています。
後継者不在率は改善しているものの、個人企業では約4割が「現在の事業を継続するつもりはない」と回答しています。
一方、小規模事業者に目を向けると、70代以上の経営者でも「事業承継したいが後継者は未定」という人が一定数存在します。
つまり、日本には、事業を持ちたい人だけではなく、事業を誰かに継いでもらいたい人もいるということです。
技術がある。
顧客がいる。
設備がある。
地域で何十年も営業してきた。
でも、子どもは会社を継がない。
従業員にも後継者がいない。
その結果、事業そのものを閉じる。
そうした会社の中には、別の人が引き継げば生き残れるものもあるかもしれません。
「M&A」という言葉に怖がらなくてもいい
「M&A」と聞くと、巨大企業が数百億円、数千億円で会社を買収するニュースを思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし日本政策金融公庫の事業承継マッチング支援を実際に見ると、まったく違う世界が見えてきます。
日本政策金融公庫の事業承継マッチング支援では、実名で公開されている譲渡希望案件もあり、飲食店、販売店、サービス業など、さまざまな小規模事業を確認できます。
成約事例にも、
子ども向け英語教室、
家具店、
そば店、
うどん店、
酒屋、
理容室、
精肉店
などが並びます。
これは、私たちがニュースで見る「企業買収」とはかなり違います。
街にある一つの店、一つの会社、一つの事業を引き継ぐ。
それもM&Aなのです。
では、日本の会社員はどこから始めればいい?
もちろん、この記事を読んで明日会社を買う必要はありません。
むしろ、それはまったくおすすめしません。
最初にやるべきなのは、
「自分なら、どんな事業なら経営できそうか」
を考えてみることです。
次に、
「実際にどんな会社が後継者を探しているのか」
を見てみる。
数字の読み方を勉強する。
M&Aでは何を確認する必要があるのかを知る。
そして必要なら、専門家に相談する。
日本政策金融公庫は2026年、初めてスモールM&Aに取り組む人向けに「M&Aナビゲートブック」を公開しました。
検討開始から相手探し、交渉、デューデリジェンス、契約、買収後のPMI(経営統合)までを整理するための実践型ワークブックです。
つまり、
「会社を買うなんて自分には関係ない」と思っていた会社員でも、まず勉強するための入口はすでに用意されています。
もちろん、買えば成功するわけではない
ここは絶対に間違えてはいけません。
既存事業には、ゼロからの起業とは違うリスクがあります。
帳簿からは分からない問題があるかもしれない。
売上の大部分を一社の顧客に依存しているかもしれない。
前オーナーが辞めた瞬間に主要顧客も離れるかもしれない。
優秀な従業員が退職するかもしれない。
老朽化した設備の交換に大きなお金が必要になるかもしれない。
会社の評判や顧客との関係が、前オーナー個人に依存している可能性もあります。
つまり、
既存事業を買うということは、その会社の利益だけでなく、問題も一緒に引き継ぐということです。
だからこそ、数字だけを見て決めるものではありません。
「買う起業」は、簡単な起業法ではない。
ただ、
起業の選択肢を一つ増やす考え方として知っておく価値はあります。
「一生働くしかない」のか
子どもには、できるだけいい教育を受けさせたい。
できれば海外留学も経験させたい。
家族で旅行もしたい。
家も欲しい。
老後にも余裕を持ちたい。
そう考えていくと、必要なお金はなかなか減りません。
年収が上がれば安心できるかというと、必ずしもそうではありません。
生活水準が上がれば支出も増え、教育費や住宅費の負担も大きくなります。
その結果、
「今の給与を失うわけにはいかないから、会社を辞められない」
という状態になることもあります。
もちろん、事業を持てば働かなくてよくなるわけではありません。むしろ、事業を引き継いだ直後は、会社員だった頃より忙しくなるかもしれません。
ただ、会社から受け取る給与と、自分で所有する事業には一つ大きな違いがあります。
給与は基本的に、自分が働き続けることで得る収入です。
一方、事業は、自分が働いて利益を得るだけでなく、顧客、従業員、仕組み、ブランド、取引先との関係などを積み重ねることで、事業そのものに価値を持たせられる可能性があります。
つまり、収入を増やす方法は、会社員として給与を上げ続けることだけではありません。
そして、独立する方法も、ゼロから会社を立ち上げることだけではありません。
これまで会社員として積み重ねてきた経験や専門知識を生かし、すでに存在する事業を引き継ぐという道もあります。
コーディ・サンチェスが繰り返し発信しているのも、まさにこうした考え方です。
彼女は自身のLinkedInで、
「ゼロから始めるな。買え。(Don't start, buy.)」と表現しています。
少々強い言い方ですが、要するに、起業したいからといって、必ずしも何もないところから会社を作る必要はないということです。
すでに顧客がいて、売上があり、長年続いてきた事業を引き継ぎ、そこに自分の経験や能力を加えて育てていくという独立の方法もあります。
そして今回調べてみると、それはアメリカだけの話ではなく、日本にも、すでにその選択肢は存在しているのです。
世界の起業家から学ぶ
この記事は、海外の起業家・経営者が発信している考え方を紹介するだけではなく、「日本では実際に使えるのか?」という視点から調査・検証するシリーズです。
今後も、コーディ・サンチェスをはじめ、アレックス・ホルモジ(Alex Hormozi)、レイラ・ホルモジ(Leila Hormozi)、ダン・マーテル(Dan Martell)、ナヴァル・ラヴィカント(Naval Ravikant)など、世界の起業家・投資家のYouTube、Podcast、インタビュー、著書、本人のWebサイトなどを調査し、日本のビジネスパーソンに役立つ情報として紹介していきたいと思います。
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