誤解と期待のはざまで――日本とアフリカを結ぶホームタウン構想の意味
- Acima Corp.

- 8月26日
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更新日:9月9日

日本とアフリカ4か国を結ぶ「ホームタウン構想」とは
数日前、日本の4つの地方都市とアフリカ4か国が「ふるさと」として結びつけられるという前例のない取り組みが始まったというニュースを目にしました。これは、横浜で開かれた第9回アフリカ開発会議(TICAD9)の場で、国際協力機構(JICA)が「ホームタウン構想」として発表したものです。千葉県木更津市とナイジェリア、山形県長井市とタンザニア、新潟県三条市とガーナ、そして愛媛県今治市とモザンビークが、それぞれのパートナーとして認定されました。
ホームタウン構想の事実と誤解
JICAが進める「ホームタウン構想」は、アフリカと日本の地方都市を一対一で結び、教育・文化・産業・人材面での交流を深めることを目的としています。それは単なる友好都市制度にとどまらず、過去の青年海外協力隊活動や留学生の受け入れ実績を土台に、具体的な連携事業を進めていく仕組みとされています。
一方で、発表直後から「アフリカから大量移民が来るのでは」「特別なビザが発給されるのでは」といった情報がSNSで拡散しました。そのため市役所に抗議の電話が殺到し、Googleマップ上で市名が勝手に書き換えられるなど混乱が生じたようです。自治体と外務省は急ぎ「これは移民政策ではなく交流の制度だ」と説明しましたが、言葉が独り歩きしてしまった形となってしまいました。「ふるさと化」や「ホームタウン」といった表現が人々の想像をかき立て、事実を超えて受け取られてしまったのです。
この出来事は、国際協力の難しさを示すと同時に、日本社会が異文化交流に対していまだ不安を抱えている現実を映し出したとも言えるでしょう。
なぜ4都市が選ばれたのか
今回の構想で選ばれた4都市には、いずれも過去からの縁や積み重ねがありました。
千葉県木更津市 ⇔ ナイジェリア
木更津市はこれまでアフリカからの留学生を積極的に受け入れてきた実績があり、特に工業系教育機関を通じてナイジェリア人留学生との交流が盛んでした。また港湾都市として海外との結びつきが強く、ナイジェリアの経済成長と連動した人材・産業交流の可能性も期待されています。
なお、当社もかつて木更津市内に支社を設けていたご縁から、東京オリンピックの際にナイジェリアのホストタウンであった木更津市様よりご依頼をいただき、選手団への通訳サービスや各種書類の日本語から英語への翻訳を担当いたしました。そのため今回のニュースは、当社にとっても大変興味深く注視しているところです。
山形県長井市 ⇔ タンザニア
長井市は花の栽培や農業技術で知られ、過去に青年海外協力隊員がタンザニアで農業指導を行ってきた歴史があります。その縁から、農業分野を中心にした技術協力・文化交流の土壌が整っているそうです。
新潟県三条市 ⇔ ガーナ
三条市は金属加工や工具産業で有名で、これまでガーナに対して技術研修や機械提供などを行ってきました。職人文化を背景にした技術協力の相性がよく、今回の組み合わせに至ったそうです。
愛媛県今治市 ⇔ モザンビーク
今治市は造船と海運の町であり、インド洋に面するモザンビークとの「海」を通じた交流が期待されています。加えて、今治タオルを中心とした繊維産業の国際展開と、モザンビークの労働力・市場の可能性が合致したようです。
各国の歴史と言語の背景
ナイジェリア:英語で統合された多民族国家
ナイジェリアはアフリカ最大の人口を持ち、民族・言語の多様性が際立ちます。ヨルバ語、イボ語、ハウサ語など有力言語が並立しますが、旧宗主国イギリスの言語である英語が唯一の公用語に据えられました。独立後も「中立的な言語」として機能し、教育・行政・ビジネスで広く用いられています。
タンザニア:スワヒリ語で築いた統一
タンザニアは東アフリカ沿岸に広がる交易文化を背景に、スワヒリ語を自らの国語として推進した国です。植民地時代には英語が支配的でしたが、独立後のニエレレ大統領が「民族の団結」を掲げ、スワヒリ語教育を徹底しました。現在ではスワヒリ語と英語が公用語ですが、日常生活ではスワヒリ語が圧倒的に使われています。当社でとあるスワヒリ語の映像翻訳プロジェクトを担当した際に、当時は日本国内で対応できる翻訳者は非常に限られており、協力いただいた翻訳者の一人から、植民地時代の歴史に対する複雑な感情や英語使用への抵抗感について個人的な考えを伺ったことがあります。言語の背景には、単なるコミュニケーション手段を超えた歴史や感情が刻まれているのだと実感したエピソードでした。
ガーナ:独立の先駆けと英語の選択
1957年にサハラ以南で最初に独立したガーナは、多言語社会をまとめる手段として英語を公用語に残しました。旧英領植民地の名残であると同時に、国際交流を進める上での現実的選択でもありました。教育水準が高く、現在も英語能力を武器に西アフリカ経済のハブとなっています。
モザンビーク:ポルトガル語が結ぶ国際ネットワーク
16世紀から1975年までポルトガルの植民地であったモザンビークでは、独立後もポルトガル語が公用語となりました。国内ではバントゥー系諸語が広く話されますが、行政・教育・司法はポルトガル語で行われています。さらにブラジルやアンゴラといったポルトガル語圏諸国との結びつきも強く、国際経済圏の一部を形成しています。
資源と地政学的背景
アフリカは天然資源が豊富で、国際社会において地政学的にも重要な大陸です。今回の4か国についても、それぞれ資源や地政学的な特徴が見られます。
ナイジェリア:サハラ以南アフリカ最大の産油国で、政府歳入の大半を石油と天然ガスに依存。価格変動による影響を受けやすい一方、西アフリカ最大の軍事力を有し地域安定の要とされています。
タンザニア:観光資源が豊富で、コーヒーや紅茶などの農産物も主要輸出品。近年はインド洋沖の天然ガス開発が注目されています。
ガーナ:世界有数のカカオ生産国で日本のチョコレート産業とも関わりが深い。金の産出国としても知られ、比較的政治の安定した国として評価されています。
モザンビーク:北部沖合で巨大な天然ガス田が発見され、国際的なエネルギー企業が進出。インド洋の要衝として戦略的重要性を持っています。
日本にとっての意味
ホームタウン構想は、日本の地方都市にとって人材確保や新市場開拓の可能性を広げ、アフリカにとっては産業技術や教育の恩恵を受ける機会となります。
一方で、日本人が抱える恐怖や不安を軽視することはできません。SNS上で誤解やデマが拡散した背景には、アフリカに対する漠然としたイメージが作用しています。貧富の差が大きく、治安に課題を抱える国があるのも事実です。都市部では急速に発展が進む一方、誘拐や強盗といった犯罪が依然として社会問題として残っている地域も存在します。私自身、元同僚(ナイジェリア人)の兄が金品目当てに誘拐され、命を落としたという悲しい出来事を耳にしたことがあります。ただし、これはあくまで一例であり、国全体を表すものではありません。とはいえ、こうした個々の事件が「アフリカ=危険」という印象を残してしまうのも事実でしょう。
さらに文化的背景の違いも、日本人に不安や戸惑いを与える要因となります。たとえばコミュニケーションの様式を見ても、日本では控えめで間接的な表現が信頼につながる一方、多くのアフリカ諸国では率直さや感情表現の豊かさが重んじられます。表情や言葉の強さに圧倒される日本人も少なくありません。
また「時間の感覚」にも違いがあります。日本では時間厳守が信頼関係の基盤とされますが、アフリカでは社会状況や生活環境の影響もあり、時間に柔軟な対応が取られることもあります。日本人にとっては遅刻や予定変更と映ることが、現地では日常的な調整の一部に過ぎないのです。当社でもスワヒリ語やベルベル語、ソマリ語などの翻訳案件を現地翻訳者に依頼することがありますが、納期遵守が難しいケースに直面することがあります。そして指摘すると「なぜそれが問題なのか」と逆に問い返されてしまうことすらあります。ただし、その背景には通信インフラの不安定さや日常生活における予測不能な出来事が影響していることも理解しておく必要があります。結局のところ、改善策としては、万が一納期が遅延しても工程に支障が出ないよう社内で工夫を講じる必要があるのです。
さらに「価値観の優先順位」にも隔たりがあります。日本社会では仕事や効率性を第一に考える傾向が強いですが、アフリカの多くの国々では家族や地域社会とのつながりが最優先される場合があります。この違いは、ビジネスや交流の現場で互いの行動原理を理解するうえで重要な要素となるでしょう。
こうした「恐怖」や「不安」は、多くの場合、情報不足や一面的な報道に根ざしています。アフリカの中にも治安が比較的安定し、教育水準の高さやビジネス環境の改善を背景に、世界中から投資が集まっている地域もあります。つまり危険と可能性は表裏一体であり、正しい知識を持たなければ、私たちは極端なイメージに振り回されてしまうのです。
今回のホームタウン構想が投げかけた大きな問いは、「日本人は未知の文化やリスクとどう向き合うのか」ということではないでしょうか。不安や恐怖を押し殺して美化する必要はありません。しかし、課題を直視したうえで現地社会を理解し、互いに安全で持続的な関係を築く努力が求められているのかもしれません。言葉選びや情報発信を誤れば誤解や不安が先行しますが、正しい情報と具体的な事例を積み重ねれば、日本とアフリカの間に新しい信頼の橋を築くことも可能だと考えます。
視点を変えれば、今回の議論そのものが日本社会にとっての大きな収穫なのかもしれません。国際交流を「どこか遠い話」ではなく「自分ごと」として考えるきっかけになったからです。恐怖と期待の間で揺れる感情を率直に認めながら、その上でどう付き合うかを模索することこそが、未来の交流の土台になるのではないでしょうか。
最後に
ナイジェリア、タンザニア、ガーナ、モザンビーク――それぞれ異なる歴史を背負い、異なる言語と資源を持つ国々と、日本の地方都市が結びつきました。これは単なる儀礼的な交流ではなく、具体的な人的・産業的結びつきに発展する可能性を秘めています。
「ふるさと」という言葉は誤解を生んでしまいましたが、同時に温かさを感じさせる響きも持っています。資源と地政学の観点からもアフリカは今後ますます重要性を増していくことは事実です。日本とアフリカが互いの「第二のふるさと」として交流を深めていくとき、そこには単なる協力を超えた共感と連帯が芽生えるでしょう。
国境を越えた新しいつながりの形として、今後の展開に注目が集まることでしょう。
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